リヤカー

新しく寄宿舎が出来て、
旧寄宿舎に居たものはすぐ引っ越して来ました。

引越しと言ってもふとん袋1つと本ぐらいのものです、
大きなものはありません。
トラック1台で24人分を積み込めたのか、
荷物と一緒に体も運んでもらったのか、
トラックで2回ぐらい運んでもらったのか・・
この辺の記憶はほとんどなくなっています。

鮮明に記憶していることは、
下宿から変わって来る者がリヤカーでやって来たことです。
今はリヤカーなんて珍しいものですが、
あの頃は普通のことで、2~3kmの道のりを、
人の手で引っ張っていました。

2学期が始まってもしばらくそんな引越しが続いていました。
どこかで借りたリヤカーに全財産を積んで、
てくてくと引っ張っていました。

リヤカーなんて知る人ぞ知る代物になってしまいました、
これに使っている車輪は自転車と同じで、
だいはちぐるま(大八車)に比べると軽快でした。

リヤカーという言葉は英語ではないですから、
多分当時の新語だったと思います。
自転車の後ろにつけるからリヤカーなんでしょう。

リヤーカーに対する言葉はサイドカーです、
これはオートバイ用の側車です。
サイドカーを付けた白バイは格好のいいもので、
乗って見たいと憬れたものです。

自転車用の側車もありました、
勤めていた会社で時々使っていました。

リヤカーは自転車で引っ張らずに、
人の手で引っ張ることが普通のようになっていました。
まだ時折、見かけることがあります。

用事の済んだリヤカーはまた返しに行かなくてはなりません、
リヤカーでの引越し、今ではとても考え難いことです。
宅急便もあれば引越し屋さんもありますから、
これはほんとうに隔世の感があります。
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# by grand-ant | 2006-02-18 04:55 | 想い出

新寄宿舎Ⅱ

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寄宿舎の裏側は桑畑でその向こうは海岸の砂浜です、
反対側の表の方も桑畑が続いています、
桑畑の中を横切っているのは山陰本線の線路です。
写真は見えにくいですが、
中央部で盛り上がっているように見えるのがそうです。

これだけの桑畑、養蚕が盛んだったころです、
もう今は別のものが植えられていることでしょう。

山陰本線は単線です、
左側から右側へ列車が通過してしばらくすると、
今度は右側から左側への列車が通ります。

右側方面が下関へ、左側は松江へ行く方向です。
寄宿舎の窓から毎日眺めていました。
夜の夜行列車の窓あかりも良く見えました。

まだSLが活躍している頃です、
機関車が後ろに1台、前に2台の重連で引っ張ることも度々見ました、
長い貨物列車も車両の数を数えたりしました。

窓からそんな様子が見えていましたが、
逆に列車からは寄宿舎が見えているということだから、
ふとんなど醜いものは窓から乾さないように言われてました。

都会地のマンションでは、
ベランダからふとんを乾しているのを良く見ます。
後日、それほど気遣うことも無かったのにと・・

寄宿舎の窓から撮ったものです。
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# by grand-ant | 2006-02-16 05:22 | 想い出

新寄宿舎

狭い24人ほどの寄宿舎生活は
2年生の夏に新しい大きな寄宿舎が完成し、
1学期の終わりに引越ししました。

1部屋6~8人で造り付けの2段ベットのような、
準個室があてがわれました。
ふとんは自分でしいて、自分であげます。

新しい寄宿舎は寮生が60人ぐらいに一気に増え、
寮母さんも2人、舎監の先生も泊まり込みになって、
2人が担当されました。

お一人は家族で住まわれ、
小学生のお子さんが2人おられ、賑やかな子供の声と共に
ご家族の生活ぶりが垣間見えました。
もうお一人は独身の若い碁の好きな先生でした。

10人ぐらいも入れる大きなお風呂、
20畳もあるような広い炊事場、
水汲みもしなくていいように
井戸には電気ポンプが付いていました。
トイレも数が増え、
忙しい朝も待つことなく使えました。

洗濯場もコンクリート製の流しが付き、
立って洗えるようになりました。

寄宿舎は海岸の砂浜にすごく近い、
広い桑畑の中に出来ました。
「桑逢寮」と名前が付きました。

古い寄宿舎から思えば文化大革命?でした。
しかし、十数年後に火災で消え、
間もなく再建された寄宿舎もまた同じ運命に遭い、
悲しいことが続きました。
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# by grand-ant | 2006-02-14 05:09 | 想い出

冬萌え

大阪城の梅林へ行って見ました、
梅の蕾はまだ固いです。
もうすぐ咲きそうな蕾もありましたが、
花が楽しめるのは10日~2週間先です。

蝋梅はもう10日以前に満開になり、
もう見ごろを過ぎて落花の最中。

公園内の落葉樹の木々は、
枯れ木のように枝を伸ばしています。

近づいて見て見ると枝木には新芽があり、
今ごろがちょうど新芽が萌え始める頃です。
寒風の中で開花を待っています、
蕾はもうすぐ開きます、
冬萌えの季節です。

故郷の小川ではせりなどの野草が芽吹き、
新しい若菜が茂り始めています。
もう若菜摘みのいい季節と思います。

"ツクシ"や"フキノトウ"も芽を出します、
畑や川端で見つけると春を感じます。

大阪城公園内の水仙が開花していました。
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# by grand-ant | 2006-02-12 05:16 | 四季

猿丸太夫

昨年の7月12日の投稿で、
「学校と動物」に一度書きました猿丸太夫は、
柿本人麻呂と同一人物である、という記述を発見しました。

歴史を研究される人は色々推理されます、
私が説明するよりWebのページを見てください。 (リンク切れで接続できません)

私が居た邑智郡内にこの二つの墓(猿丸と人麻呂)は存在します、
そうかなと納得は出来ないこともありません・・・
面白い考えだなと思いました、
公に公認されているわけではありません。
ついでに紹介させていただきました。

故郷のHPに載っている猿丸太夫の民話をご紹介します。(リンク切れで接続できません)
時間のあるときにクリックして聞いてみてください。
ナレーターの言葉は石見弁とは少し違うニュアンスもあります、
だいたいあのような言葉です。

猿丸太夫の伝説は日本の各地にあります、
福島県会津地方熊本地方、にも伝わっています。
浦島太郎伝説、桃太郎伝説、羽衣伝説、
同じように各地にありますね。
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# by grand-ant | 2006-02-10 05:27 | 想い出

星高山と角の浦

学校の裏に広がる5~7Kmの海岸一帯を、
"角の浦"と云って校歌にも読み込まれています。

先日取り上げた星高山は、
山と渓谷社発行の"島根県の山"には載っていない山です。
数年前に星高山について調べようと購入しましたが、
一言の記述もなくがっかりしました。

星高山より低い245mの室神山が浅利富士として
載っています、さすが○○富士となれば載せてもらえます。
筆者が山の謂れをご存知であったら載せてもらえたのでは?
惜しいことをしました。
地図にも取り上げてもらえない無名の山です。

"高角山"として地元のパンフレットには載っていますが、
知らない人には星高山を探すことは難しいです。

柿本人麻呂は
「石見のや 高角山の木の際より 我が振る袖を 妹見つらむか」
と"高角山"を詠みこんでいます。

この高角山から海岸にかけての地域を角の里といい、
この里の沖一帯が角の浦廻です。

校歌の一文は
「・・角の浦廻に心身練りて」となっています。

どこの学校の校歌にもその土地の山、川、海が
たいてい挿入されています。
節もどこか似通っていますね。

もうすぐ選抜高校野球で、
いろいろな校歌を聞く事が出来ます。
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# by grand-ant | 2006-02-08 05:34 | 想い出

石見(いわみ)の国

島根県は石見の国と出雲の国に分かれていて、
不思議なことにこの2つの国は、
ことば(方言)に大きな違いがあります。

石見弁は広島弁に似通っていますが、
出雲弁は遠く離れた東北弁にとても良く似ています。
松本清張の砂の器で"亀嵩(かめだけ)"の発音から、
犯人は東北ではと推理していましたが、
この言葉が事件を解く鍵になり、
国鉄の亀嵩駅は全国的に有名になりました。

出雲は10月の神有月の"出雲大社"で有名です、
石見で有名なものは"石見神楽"でしょうか?
それほど有名でない地味な国ですね。

万葉時代に石見の国の国司で赴任してきたのが
柿本人麻呂、学校のある町の近辺にはその史跡が多いです。

柿本人麻呂の研究者で名高い斉藤茂吉さんや、
万葉集の解説で名高い犬養 孝さんの歌碑も、
所々にあります。

中学を過ごした町で斉藤茂吉鴨山記念館を建てる時、
茂吉と人麻呂の書籍を集めるために、
わざわざ大阪の古本屋に関係書籍を求めて、
町の関係者がやってきました。

私にも古本屋さんの店を教えて欲しいといわれました、
道頓堀の天牛書店、阿倍野の古書街、
それに上六の書店ぐらいしか知らないもので、
役に立たなかったことがあります。

二つの国を分けるように立っているのが三瓶山です。
高校のすぐ傍に河口を持つのが、
島根一大きな川、石見の大河?、
中国太郎こと、江川(ごうがわ)です。

三瓶山よりも高い広島県の阿佐山付近から湧き出た水は、
八千代町を通って三次市で、
馬洗(ばせん)川、西城川、神野瀬(かんのせ)川と合流、
中国山地を横切り、島根県を横切り、
江津(ごうつ)市で日本海に流れ込んでいます。




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# by grand-ant | 2006-02-06 05:36 | 想い出

とらへい

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先日(12月7日)書きました「とのへい」
私の思い違いで「とらへい」が正しいようです。

中学時代の友達が何を思ってのことか、
突然長文の手紙をくれました。
写真の切抜きが同封してありました。
「山陰中央新報」の記事です。

この記事でおかしいと思うのは、
わらの馬の形、私たちのときとは大分違います。

もう一つは、交換となっていますが、
馬は軒先に差し出しはしますが、
またそれを持って帰って、
次の家にもその馬で訪問していました。
馬に紐をつけていたのは写真の通りです。

年賀状ぐらいしか交流をしていない彼です、
珍しいことです。

私のブログは知らせていません、
ひょっとしたら
ブログを見て知らせてくれたのかもわかりません。

ずーっと「とのへい」と思っていました、
間違ったままブログに書いてしまい、
申し訳ありませんでした。
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# by grand-ant | 2006-02-04 05:42 | 想い出

雪中登山

毎年今頃に雪中登山の行事がありました、
全校生徒が一斉に学校を出発して山に登ります。
前もって日にちが決められているものだから、
その日に雪がなくても決行され、
雪の無い日の雪中登山を3度行きました。

校歌にも出てくる「星高山」で高さは470mの低い山です。
(万葉集にも詠まれている山です、後日記してみます)
距離も学校から4~5km、今考えれば楽な登山です。
低い山でも山頂からの眺めは良かったです。

その昔、この山の山頂に隕石が降ってきたそうで、
そんなことから星の山と言われてきました。
この一帯も島の星町と言います。

私の在学中はよく雪が積もっていました、
雪かきをすると寄宿舎の傍は雪の山になって、
雪の思い出はありますのに、
登山の日は不思議に雪になりませんでした。

中間試験が終わった頃に予定してあったと思います。
折角の雪中登山、
美しい想い出にするにも雪の登山がしたかった、
と常々思っています。
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# by grand-ant | 2006-02-02 06:39 | 想い出

下宿

私のクラスは寄宿舎が2人、下宿が10人、と
かなり遠くの町から来ていました。

2学期になって大分慣れてきたごろ、
友達の下宿に遊びに行きましたら、
部屋は広く、明るく、
なんといっても一国一城の主だなと、
のびのびとした様子が伺えました。

窓際に掛けていたギターを、
ちょっと手にして「禁じられた遊び」の出だしを、
ポロロンと弾いてくれました。

「隣の芝生は青い」と言います、
寄宿舎住まいの私には天国のようでした。
家庭的ですごくうらやましく思ったものです。

下宿の娘さんといい仲になったと言う、
うわさもありました、その後は知りません。
下宿のいい話ばかり聞こえてきました。

私のクラスの他にも、
建築、工業化学、木材工芸、窯業、のクラスがあり、
多くの家で下宿屋さんをされていたようです。

寄宿舎よりは経費がかかったはずです、
私の従弟は東京の大学を出ました、
高校以上に経費が掛かり、
親は身の細る思いだったことでしょう。

下宿も寄宿舎も必要の無い通学圏内の者を、
下宿以上にうらやましくも思いました。
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# by grand-ant | 2006-01-31 10:45 | 想い出