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便箋

手紙を書いて封書で送ること、
いつ頃からですか しなくなりました。
もう手紙を送る必要性も相手もいませんけど・・

高校時代はよく手紙を書いていました、
家宛であったり、祖父宛であったり、
従弟にも、妹にも良く書いていました。

福岡で過ごした竹馬の友へも、
中学時代はペンフレンドへも何度か・・
書いては破り、清書といっては書き直し、
便箋の1/3はそんな風にゴミ箱に入りました。

その頃に使った便箋の表紙、
捨てずに大事にとっています。
チラシ集めの前からのコレクションで、
いつの間にか集まった物です。

便箋の表紙もデザインに凝った物があり、
新しく買うときは迷いながらも楽しく選びました。
風景をスケッチしたもの、
草花をあしらったものなどを好んで選んでました。

表紙の端に価格のスタンプがあります、
25円~30円です。
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by grand-ant | 2006-02-28 05:57 | 想い出

折込チラシ

新しい寄宿舎では起床は早かったです、
朝の新聞の折り込みチラシを集めるためです。
誰よりも早く起きるようにして、
なんでもないチラシを集めました。

朝は6時ごろだったでしょうか、
2~3枚とか4~5枚とか少ししか入っていませんでした。
私が集めていることを知った、
1級下のK君もいつの間にか集めだし、
2人で競争のように取り合いました。

収集癖の始まりですね、
夢中になって集めだしたのは初めてのことです。
以前紹介した映画のチラシの他に、
飲食店の開店のチラシ、バーゲンの知らせ、
商品の案内など手当たり次第に集めました。

今見ると時代の反映です、
どのチラシも粗末な紙です、
当時のちり紙のような、ザラ半紙のような、
薄い紙です、少しの力で破れてしまいそうです。

最近のチラシはアート紙にフルカラー印刷で、
捨てるのももったいないような出来栄えですけど、
当時は1色刷りが大勢でした。
豪華さを少しでもとカラー紙が使われていました。

そんな1枚です。
目についた優れもの?"コピー"です。
 ・中海産極上うなぎ
 ・味は天下一品
 ・キュッと一ぱい如何です
 ・そば粉は有名な三瓶そば
 ・高血圧降下剤
 ・冷やしビール
 ・電話呼出156番です
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by grand-ant | 2006-02-26 05:22 | 想い出

コーヒー

昨年の6月19日にコーヒーを書きました、
あれ以来忘れていたコーヒーにひょっこり出会いました。

高2の時 友達のアルバイト先にお邪魔した時です、
コーヒー皿にコーヒーカップ、スプーンに角砂糖2つ、
コーヒーに小さなミルクポット、
これがコーヒーですと言うようなセットで頂きました。

多分これがコーヒーを頂いた初めてのことになるかも分かりません。
とても苦かったです。

以前に我が家で飲んだコーヒーは 香りのいい甘いコーヒーでした、
このときは番茶用の湯呑み茶碗だったように思います。

高級料理も器で味が変わるように、
コーヒーも本格的な器で頂くと苦くても当たり前、
これがコーヒーなんだなと思ったものです。

数日してその友達と駅前通りのお店でコーヒーを注文しました、
意外にもコーヒーが出てきました。
コーヒーと言うものがこの街に存在していたのだという、
驚きの方が大きかったです。

それから1年後、就職面談で京都に出てきて、
京都駅のステーションデパートの喫茶店で頂いたコーヒーは、
これまた苦くて、砂糖を一杯入れて飲みました。

以来本当に美味しいなぁーと思えるコーヒーに出会うことは、
本当に少ないです。
最近は角砂糖にもお目見えしなくなりました。
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by grand-ant | 2006-02-24 05:26 | 想い出

クラブ

クラブはラジオ部と美術部に入りました、
入ったと言うだけでどちらもほとんど活動していません。

美術部の方が少しは活動しました、
彫塑も少し、デッサンも少し、
近くの普通科の高校へ写生にも行きました。

クラブらしい熱心な活動をしていたのは、
私が入っていない柔道部に野球部です。
スポーツマンらしくていいなとは思いましたが、
思うだけでした。

柔道で黒帯の人は尊敬の目で見ていました、
寄宿舎の友達も2年生の中頃には黒帯になっていました。

野球部は他のクラブに比べると、
特別待遇のような印象がありました。
対外試合で授業を休んでも公休扱い、
体調管理のための栄養剤も支給してもらってました。

1年生の時に風呂に行く頃の遅い時間まで、
練習の曲が聞こえていた吹奏楽部も熱心でした。
楽器を演奏することはすてきなことです、
ハーモニカぐらいしか吹けません、
私に能力があれば入りたいクラブでした。

私の卒業後に強くなったのはボート部です、
全国優勝を2度したようでした。

まだ空手部も水泳部も自動車部もあったような
気がしますが、はっきりとは覚えていません。
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by grand-ant | 2006-02-22 06:45 | 想い出

地引網

新寄宿舎の裏の桑畑の向こうは、
道を挟んですぐに松林がありました、
そして、その向こうは砂浜です。
すぐそこに海水浴場があるようなものですから、
9月になっても泳ぐ者がいました。

朝早く起きて寮の周りを歩いている時に、
浜辺の方から鐘の音が聞こえてきました、
何の鐘だろうと近寄ってみましたら、
地元の漁師さんが手に持った鐘を、
振る様にして鳴らして浜辺を歩いておられました。
地引網の引き手を集める呼び込みの鐘でした。

寄宿舎からも何度か何人かが参加して、
地引網を引きました。

前もって漁師さんが沖の方に仕掛けた網を、
4~50人で引きました。

いろんな魚が入っていました、
さば、いわし、いか、たいなどポピュラーな魚が、
うみへび?と思うような気持ちの悪いものも、
あなごでしょうか、うつぼでしょうか?
恐々と見ていました。

引き終わった後は、
引いた人に2~3匹ずつの魚を分けてもらえます。
(これを当たり前と言うんだそうですよ)
私たちが貰ってもどうしようもないんですが、
寮母のおばさんに持って帰ってあげていました。
食事に使われたのかどうか気に掛けることもなかったです。

地引網を引く経験もしました。

この頃は参加者がお金を出し合って、
地引網を経験するイベントもあるようです。
今はこんな方法が"当たり前に"なっているんですね!
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by grand-ant | 2006-02-20 06:15 | 想い出

リヤカー

新しく寄宿舎が出来て、
旧寄宿舎に居たものはすぐ引っ越して来ました。

引越しと言ってもふとん袋1つと本ぐらいのものです、
大きなものはありません。
トラック1台で24人分を積み込めたのか、
荷物と一緒に体も運んでもらったのか、
トラックで2回ぐらい運んでもらったのか・・
この辺の記憶はほとんどなくなっています。

鮮明に記憶していることは、
下宿から変わって来る者がリヤカーでやって来たことです。
今はリヤカーなんて珍しいものですが、
あの頃は普通のことで、2~3kmの道のりを、
人の手で引っ張っていました。

2学期が始まってもしばらくそんな引越しが続いていました。
どこかで借りたリヤカーに全財産を積んで、
てくてくと引っ張っていました。

リヤカーなんて知る人ぞ知る代物になってしまいました、
これに使っている車輪は自転車と同じで、
だいはちぐるま(大八車)に比べると軽快でした。

リヤカーという言葉は英語ではないですから、
多分当時の新語だったと思います。
自転車の後ろにつけるからリヤカーなんでしょう。

リヤーカーに対する言葉はサイドカーです、
これはオートバイ用の側車です。
サイドカーを付けた白バイは格好のいいもので、
乗って見たいと憬れたものです。

自転車用の側車もありました、
勤めていた会社で時々使っていました。

リヤカーは自転車で引っ張らずに、
人の手で引っ張ることが普通のようになっていました。
まだ時折、見かけることがあります。

用事の済んだリヤカーはまた返しに行かなくてはなりません、
リヤカーでの引越し、今ではとても考え難いことです。
宅急便もあれば引越し屋さんもありますから、
これはほんとうに隔世の感があります。
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by grand-ant | 2006-02-18 04:55 | 想い出

新寄宿舎Ⅱ

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寄宿舎の裏側は桑畑でその向こうは海岸の砂浜です、
反対側の表の方も桑畑が続いています、
桑畑の中を横切っているのは山陰本線の線路です。
写真は見えにくいですが、
中央部で盛り上がっているように見えるのがそうです。

これだけの桑畑、養蚕が盛んだったころです、
もう今は別のものが植えられていることでしょう。

山陰本線は単線です、
左側から右側へ列車が通過してしばらくすると、
今度は右側から左側への列車が通ります。

右側方面が下関へ、左側は松江へ行く方向です。
寄宿舎の窓から毎日眺めていました。
夜の夜行列車の窓あかりも良く見えました。

まだSLが活躍している頃です、
機関車が後ろに1台、前に2台の重連で引っ張ることも度々見ました、
長い貨物列車も車両の数を数えたりしました。

窓からそんな様子が見えていましたが、
逆に列車からは寄宿舎が見えているということだから、
ふとんなど醜いものは窓から乾さないように言われてました。

都会地のマンションでは、
ベランダからふとんを乾しているのを良く見ます。
後日、それほど気遣うことも無かったのにと・・

寄宿舎の窓から撮ったものです。
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by grand-ant | 2006-02-16 05:22 | 想い出

新寄宿舎

狭い24人ほどの寄宿舎生活は
2年生の夏に新しい大きな寄宿舎が完成し、
1学期の終わりに引越ししました。

1部屋6~8人で造り付けの2段ベットのような、
準個室があてがわれました。
ふとんは自分でしいて、自分であげます。

新しい寄宿舎は寮生が60人ぐらいに一気に増え、
寮母さんも2人、舎監の先生も泊まり込みになって、
2人が担当されました。

お一人は家族で住まわれ、
小学生のお子さんが2人おられ、賑やかな子供の声と共に
ご家族の生活ぶりが垣間見えました。
もうお一人は独身の若い碁の好きな先生でした。

10人ぐらいも入れる大きなお風呂、
20畳もあるような広い炊事場、
水汲みもしなくていいように
井戸には電気ポンプが付いていました。
トイレも数が増え、
忙しい朝も待つことなく使えました。

洗濯場もコンクリート製の流しが付き、
立って洗えるようになりました。

寄宿舎は海岸の砂浜にすごく近い、
広い桑畑の中に出来ました。
「桑逢寮」と名前が付きました。

古い寄宿舎から思えば文化大革命?でした。
しかし、十数年後に火災で消え、
間もなく再建された寄宿舎もまた同じ運命に遭い、
悲しいことが続きました。
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by grand-ant | 2006-02-14 05:09 | 想い出

冬萌え

大阪城の梅林へ行って見ました、
梅の蕾はまだ固いです。
もうすぐ咲きそうな蕾もありましたが、
花が楽しめるのは10日~2週間先です。

蝋梅はもう10日以前に満開になり、
もう見ごろを過ぎて落花の最中。

公園内の落葉樹の木々は、
枯れ木のように枝を伸ばしています。

近づいて見て見ると枝木には新芽があり、
今ごろがちょうど新芽が萌え始める頃です。
寒風の中で開花を待っています、
蕾はもうすぐ開きます、
冬萌えの季節です。

故郷の小川ではせりなどの野草が芽吹き、
新しい若菜が茂り始めています。
もう若菜摘みのいい季節と思います。

"ツクシ"や"フキノトウ"も芽を出します、
畑や川端で見つけると春を感じます。

大阪城公園内の水仙が開花していました。
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by grand-ant | 2006-02-12 05:16 | 四季

猿丸太夫

昨年の7月12日の投稿で、
「学校と動物」に一度書きました猿丸太夫は、
柿本人麻呂と同一人物である、という記述を発見しました。

歴史を研究される人は色々推理されます、
私が説明するよりWebのページを見てください。 (リンク切れで接続できません)

私が居た邑智郡内にこの二つの墓(猿丸と人麻呂)は存在します、
そうかなと納得は出来ないこともありません・・・
面白い考えだなと思いました、
公に公認されているわけではありません。
ついでに紹介させていただきました。

故郷のHPに載っている猿丸太夫の民話をご紹介します。(リンク切れで接続できません)
時間のあるときにクリックして聞いてみてください。
ナレーターの言葉は石見弁とは少し違うニュアンスもあります、
だいたいあのような言葉です。

猿丸太夫の伝説は日本の各地にあります、
福島県会津地方熊本地方、にも伝わっています。
浦島太郎伝説、桃太郎伝説、羽衣伝説、
同じように各地にありますね。
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by grand-ant | 2006-02-10 05:27 | 想い出