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下宿

私のクラスは寄宿舎が2人、下宿が10人、と
かなり遠くの町から来ていました。

2学期になって大分慣れてきたごろ、
友達の下宿に遊びに行きましたら、
部屋は広く、明るく、
なんといっても一国一城の主だなと、
のびのびとした様子が伺えました。

窓際に掛けていたギターを、
ちょっと手にして「禁じられた遊び」の出だしを、
ポロロンと弾いてくれました。

「隣の芝生は青い」と言います、
寄宿舎住まいの私には天国のようでした。
家庭的ですごくうらやましく思ったものです。

下宿の娘さんといい仲になったと言う、
うわさもありました、その後は知りません。
下宿のいい話ばかり聞こえてきました。

私のクラスの他にも、
建築、工業化学、木材工芸、窯業、のクラスがあり、
多くの家で下宿屋さんをされていたようです。

寄宿舎よりは経費がかかったはずです、
私の従弟は東京の大学を出ました、
高校以上に経費が掛かり、
親は身の細る思いだったことでしょう。

下宿も寄宿舎も必要の無い通学圏内の者を、
下宿以上にうらやましくも思いました。
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by grand-ant | 2006-01-31 10:45 | 想い出

クリーニング屋さん

寄宿舎から学校へ通う途中に、
大きなクリーニング屋さんがありました。

その年に中学を出てすぐに職に就いたような、
私と同じぐらいの年恰好の子が2~3人と
他に2~3人の店員さんが居ました。

大きな籠を取り付けた自転車で、
各家から預かった洗濯物を運んだり、
出来た洗濯物を納品に出かけるときなど、
学校の行き帰りに良く出合いました。

親方さんから厳しく指図されて、
神妙に聞き入っている新米店員を見ていました。

私は高校へ進学しましたけど、
クラスの2/3は進学しないで就職していましたから、
そんな様子を見るたびに、
恵まれている自分を感じました。

進学しないで就職した友達も、
こんな風に修行をしているんだろうなと、
しみじみと思ったものです。

ここで猛勉強をしてクラス一ぐらいになればいいのに、
寄宿舎に帰ってからは復習もせず、
一年生の終わりには進級が危ぶまれるほど、
成績はふるいませんでした。

その後はその店員さんに会うこともなかったですが、
何かの時に思い出して、
今ごろはどんな風にされているのかなと、
想像しています。
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by grand-ant | 2006-01-29 06:25 | 想い出

腕時計 

高校に入学する時に叔父が
「高校へ行ったら時計がいるけーのー・・」
「これやるけー、持っていけー」
といって使っていた腕時計をもらいました。

叔父が使っていたものでしたが
初めてでしたからすごくうれしかったです。
大人になったような気持ちになりました。

高い物です、家では買ってもらえません、
父が使っていたと言う懐中時計を、
これ、大事に使うならもって行きなさいと、
母が言ってくれましたが、
それは年寄りくさくて嫌でした。

それを知った叔父が可哀相に思ったのでしょう、
自分の時計をくれたのです、
卒業後何年も正確に動いていました。

卒業してしばらく経ったときです、
弟が高校へはいる時だったとおもいますが、
私が弟へ時計を買ってやりました。
安い時計でしたがその頃の最先端の自動巻き、
弟は喜んでいました。

いま買えば、安くていい時計があります、
壁掛け時計などはあの頃と変わらない価格です。
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by grand-ant | 2006-01-27 06:31 | 想い出

ばふん紙

小学一~二年生頃は私もランドセルを使いました、
今売られている最新のランドセルとデザインに大差はなく、
ほとんど同じだったです。

違っていたのは材質です、
見かけは一見皮製のように見えましたが、
紙で出来たランドセルです。

ボール紙を何枚か貼り合わせて表面には少し上等の紙を貼り、
圧縮のプレス機械で型押ししたものです。
縁取りには唐草なような模様も浮き出してありました。

ランドセルの他に黒い事務用のカバンがありましたが、
これも紙製でした。
「窮すれば通ず」で物不足でも色々工夫するもので、
皮もビニールもなくてもカバンになるんですね。

紙は水に弱いですから水には気をつけたはずです、
雨の日の通学で濡れないと言うことはないですから、
どんなにしていたのでしょうかそこまでの記憶はありません。

あの頃はボール紙のことを「馬糞紙」と言ってました、
今のボール紙よりはずーっと粗悪でしょうが、
学校の工作でも良く使っていました。

この馬糞紙で作ったランドセルだったと思います。

馬糞紙とは言ってましたが材料が「馬糞」だった と
言うことではなかったようです。
検索で調べましたら「わら」等から作ったようです。

数年前に安いベルトを買いました、
少し使って傷みましたから中を見ましたら、
これもダンボールのようなものでできていました。
現代でもうっかりするとこのような物を買わされます。
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by grand-ant | 2006-01-25 05:35 | 想い出

金ボタン

学生服に付いていたボタンは金ボタンです、
もちろん本物の金ではありません。
ブリキに真鍮めっきをしたものです。

粗悪品のメッキは、
所々が剥げてまだらな模様になってました。
上等のボタンは真鍮製で剥げることはなかったです。

中学生の時にオーバーとして着ていた黒色の外套は、
縦に2列の金ボタンが並んでいました、1列は飾りです。
この外套を着ると自分が偉くなったような、
威厳も感じました。

三島由紀夫が割腹自殺する前に、
ベランダで演説する時に着ていたのは軍服でしょうか、
縦に2列の金ボタンが並んでいましたね。

デザインは少し違いますがあんな感じの外套でした、
軍服のデザインが戦後の庶民にも浸透していたということでしょう。

中学生までは男女共学でしたが、
卒業の時にこの2番目のボタンを好きな人にあげると言うことは、
当時の私にはそんな知識はありませんから、
だれにあげることもなかったです。

私の知らない所でこの第二ボタンを誰かに渡したという、
友達がいたのかどうかもわかりません。

中学生ではまだ初心ですからそんなことはしていなかったでしょう?
少しませてきた頃に高校で共学を過ごした人は、
そんな経験をお持ちの方もいらっしゃるでしょう?

第二ボタンをくださいと言って、
断られた時にはむしりとってもいいとか?
そんな記事を見たことがあります。

第一ボタンは本人が、第三ボタンは友人に渡すなど・・
誰が決めたのか、こういった意味で金ボタンは青春時代のものです。

最近は大人用のブレザーにも金ボタンが採用されて、
静かなブーム?で愛用者があるようです。
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by grand-ant | 2006-01-23 07:15 | 想い出

学生服とセーラー服

女子だけが着用していたのがセーラー服で、
男子は学生服、この取り合わせは当時は当たり前と思いながら、
どこか何故なのかと気に掛っていました。
今考えて見るとどちらも不思議な服です。

日本海軍の服は男子でもセーラー服でした、
学校ではどうして女子だけの服になったのか、
考えて見れば謎に思えてきます。

男子と女子の服を違えたのはなぜなのか、
中学生の頃から疑問に思っていることです。

小学校1年生(昭和22年)の時の写真を見ると、
男子は学生服、女子はセーラー服、
もうこの頃にはこの区別が定着しています。

私が生まれる前の昭和10年の写真でも、
男子は学生服、女子はセーラー服と着物が半々です。

女子のセーラー服が初めて登場しているのが昭和5年です、
ほとんどが着物の中でちらほらと着ておられます。
この年の男子は学生服を着た人もいますが、
ほとんどの人は着物ですね。

学生服が初めて登場するのが大正9年で、
しかも一人だけで、他は着物です。
この頃の男子はもうあの学生帽をかぶっていますよ。
着物と学生帽の取り合わせです。

一番古い明治44年の写真があります、
生徒は男女とも全員着物です、
しかし男子は着物でもこの時にはもう学生帽をかぶっています。
昔の写真を見ながら学生服を回顧してみました。
(卒業校のアルバムですから、他の学校とは違うでしょう)

いま大阪の高校では男女とも同じスーツの所があります、
しかし、女子はスカート、男子はズボン、
男女に差はつきものです?
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by grand-ant | 2006-01-21 05:47 | 想い出

学生帽

小学校も中学校も学生帽をかぶっていました、
制帽ではない お店で個々に売られていたもので、
見た目は似ていてもメーカーによってやや違いがありました。

中学生の時に近所の高校のお兄さんが、
白線が2本入った帽子をかぶっておられて、
その帽子にあこがれていました。

ところが入学した高校は白線ではないんです、
黒色で幅広のじゃばらの布を巻いて、
見た目は小中のときの帽子と変わりなく見え、
がっかりしました。

当時の国鉄の駅員さんの帽子も黒のじゃばらでした、
駅員さんの帽子は階級によって
じゃばらに赤い線や青い線が入り
それはそれなりに格好よく見えたものです。

警察官の帽子は金が光って見えて、
権威の象徴に見えました。

学生帽をかぶるのは男子だけですね、
どこかの大学の卒業式のニュースで
女子もかぶっているのを見たことがあります。
一般的に男子のみがかぶっていたような
強い記憶がありますから、
なぜなのかと言う疑問が今もあるんです。

学生帽は明治以後の西洋化で軍が取り入れた軍服軍帽に、
所以があるような気がします。
学生服も軍服のようなデザイン、学徒出陣の写真を見ると、
学生服はもう立派な軍服ではと思います。

そんな軍服?を着て人とは違った帽子にしようと、
中央につけている校章を丸く曲げてみたり、
前の方に傾けて付けたり、
油を塗って全体をどす黒くさせたり、
これらは自分を不良っぽく見せるための、
小道具だったと思います。

はじめからついている「つば」は短いです、
わざわざ「長いつば」を買って来て付け替えていました。
「つば」だけを単品で売っていることも不思議でした。
自分だけの長いつばの帽子、得意になってました。

真夏には白いカバーを掛けてかぶったこと等など、
今は昔々のこと、ぼんやりと思い出しています。
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by grand-ant | 2006-01-19 05:41 | 想い出

早弁

高校3年間は真面目な生徒でした、
軌道から外れたことと言えば早弁ぐらいのものです。
1年生までは中学の延長で真面目を絵に描いたようなものでした。

1時間目が終わった所で弁当を食べてしまうと、
昼の時間はお腹がすいて、購買でパンを買って食べてました。

中学にはなかった購買(売店)があるんです、
ほとんどの文房具は揃っていましたが、
そこでパンを売っているのが不思議でした。

4時間目が終わると走っていかないと、
すぐ売り切れていました、早弁をする者が多かったんですね。

以前取り上げたアルバイトで得たお金は、
こんなところで消えていたのかもわかりません。

昼にはお茶の入った大きなやかんが各教室に運ばれてきます、
お茶とパンの取り合わせよりは、
牛乳で食べるパンの方が美味しかったです。
牛乳は購買のカウンタでお湯につけて置いてありました、
紙の蓋をして正方形のロウ紙に輪ゴムが掛ってありました。

休憩時間の10分足らずの間に食べれば、
悪びれることもないのですが、
授業中に立てた教科書で隠しながら食べていた者は、
スリルがあったはずです。
面白がってする傾向がありました。
私はそのスリルは味わっていません。
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by grand-ant | 2006-01-17 07:22 | 想い出

松の樹液

学校の周りは当たり前かも知れませんが緑は多かったです、
それも松の木がたくさんありました。

学校へ続く松並木、校舎の裏の海岸の松林、
かなり大きな幹の黒松の木々です。

普通の松ノ木ではありますが幹には共通の特徴がありました。
刃物で切った溝が何列も刻まれて、
はじめて見た時はなんなのかと目を引きました。

それは1本2本ではないのです、
歩きながら見ていくと次の木も、その次の木も、
どれも同じようは模様が入っているのです。

左右から中心に向かっている筋が真ん中に集まり、
魚の骨のような模様にも見えてました。

入学して何日か経ったころ、
松の木の模様について先生から訳を聞きました。

戦争も終わりごろになると燃料が無くなってきて、
松の樹液から燃料を取ったと言う事でした。

この樹液は思うようには集まらず、
手間を掛けてみたものの効率が悪く、
戦闘機の燃料には思ったようにはならなかったそうです。

昔から漆の樹液もこうやって採っていたようですし、
ゴムの樹液も同じです、
現在もまだ採る時はこのような方法で採るようです。

松の樹液が固まった物がマツヤニ(松脂)です、
風呂焚きなどでは良く燃えましたからそれなりに貴重でした。
半田付けのペーストにもなります。

戦闘機の燃料には相当の量が要りますね、
日本が戦争に負けても仕方のない現実を見た思いでした。

一旦刻まれた傷はなかなか消えません、
松枯れの被害で間引き状態にはなっていましたが、
数年前に訪れた時もその溝は残っていました。
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by grand-ant | 2006-01-15 05:03 | 想い出

産業排水

校舎の隣は山陽パルプ(当時の社名)でした。
校舎との敷地の境界には、
2m位の高いコンクリートの塀が立っていました。

その塀は、通学で毎日通う玄関へ続く松並木の辺りから、
8~10棟の校舎の横を越え、
長い松林も越えて海岸にまでも延びていました。

海岸はきれいな砂浜でしたが塀の中から、
沖の海水にはいつも黒い帯になった排水が流れ込んでいました。
パルプ工場からの排水によるものです。

ブルーの海水と黒い排水は
くっきりとした境界線を保ったまま東へと流れていました。

公害と言う言葉も生まれてなかった時代です、
海への排水の規制もなかったのでしょう、
きれいな砂浜の沖に見えていた醜い景色は、
学校の砂浜を思い出すと必ず(黒い排水も)思い出されます。

現在は排水の質がずーっと良くなっていると聞きましたが、
まだ排水されていてやはり海の色は変わっているようです。

地域の漁獲に対して何か保障がされているようなことを、
聞いたような気もします。
保障でなくてきれいな水の排水をして欲しいです。

私たちがいつも使っている紙も、
誰かの犠牲の元で作られているんだなあと、
思ってしまいます。
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by grand-ant | 2006-01-13 05:44 | 想い出