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囲碁

中学生の頃の遊びに将棋がありました、
ほんとの将棋の他に山崩しや鋏み将棋に、
将棋盤の一番外側を歩から香車、桂馬と順番に上がってゆく
なんと言いましたかね~・・歩周り?・・
出世駒将棋とでも言えるゲームをよくしていました。

それよりもっと面白いゲームが囲碁です。
親戚の叔父に相手をしてもらって、
いつの間にか囲碁を覚えました。

白と黒の石を順番に置いてゆくのです、
碁盤上の陣取りゲームです。
日が経つに連れ面白さが病みつきになりました。
もらい風呂をして碁を一盤して帰るように
なっていました。

高校に入っても寄宿舎で囲碁好きが入ってきてからは、
毎日囲碁をしていました。
2人の舎監の先生も囲碁が好きで、
よく相手をしてもらいました。

定石の多さ、手順の多さで奥の深いゲームです、
高校を卒業してからは相手がいないので、
囲碁の雑誌を見ながら「詰碁」で一人囲碁をしていました。

もう十何年も前ですが新聞の広告で、
「次の一手」を当てる段位(級位)認定テストがあり、
応募しましたら「初段」の認定を貰いました。

この「免許状」が3万円もするので、
関西棋院さんには悪かったですが貰わずじまいです。

NHKの教育テレビで日曜日の昼、
囲碁の番組があります。
今はすることが多くてたまにこの番組を見ます。
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by grand-ant | 2005-10-31 06:28 | 想い出

作文

中学でも高校でも作文を書かされました。
たいていはテーマが決められてました、
「尊敬する人」
「一番心にのこったこと」
「将来の希望」
「大人になってやりたい仕事」
こんな作文を何度か書かされた記憶があります。

生徒はただ嫌々ながら作文を書きましたが、
これは生徒の意識調査ですね。

文章の上手さとかを見るというよりは、
家庭の事情とか、どんなことを考えているのか、
生徒の作文を通して読み取られたのですね。

調査そのものもありました、
「学校でのあなたの友達をかきなさい!」
友達の有り無し、人気度が分かったと思います。

私は自分の殻に閉じこもる方でしたから、
書いてくれるような友達は少なかったです。

有名人とか事件を起こした子供の卒業作文が、
テレビで取り上げられています、
そこからはその人の考え方や性格などが、
なんとなく伝わった来ますね。

提出した作文は返しては貰ったのでしょうが、
それもいまはもうありません。

私のこんな卒業作文は学校のアルバムにも、
どこにもないんですね・・
もう一度読んで見たい気がしています。
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by grand-ant | 2005-10-30 05:57 | 想い出

放送劇

中学3年生の時放送劇をしました、
これが学芸会の代わりだったのかなぁと思っています。

10名か20名かわかりませんが大人数ではありました、
ロシア文学の話で私の役が"ミハイル"だったような・・
毎日毎日練習をした記憶は残っています。

このミハイルを根拠に検索してみますが、
ロシアの文学作品名は出てきませんでした。
何から何まであやふやな記憶です。

作品ごとに数班に分かれて演じました、
聞くときは机に付いて、
教室のスピーカーから流れてくる放送を聞きました。
講堂のない学校でしたから、
多分これが学芸会?だったことでしょう。
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by grand-ant | 2005-10-29 06:29 | 想い出

学芸会

どなたも学芸会の想い出をお持ちでしょう、
私はこの記憶がほとんどありません。

毎年1度は行われていたはずですのに、
余程関心がなかったのか、不思議なことです。

小学5年生の時、妹が3年生でした、
妹達の芝居のセリフをよく覚えています。
家で毎日繰り返しで言っていたことをそばで聞いて、
部外者の私がいまだに暗記しています。

妹のセリフではなくて、相手の猿のセリフです。
「ちぇっちぇ! こんなかきの種じゃー
 かじってもうまくなし、歯がこぼれるだけだ!」
「それにしてもカニのやついいもの拾ったなぁ!」

妹の役がカニで、おにぎりを拾った場面でのことです。

その年私も何かを演じたはずです、
さっぱり覚えていません。

中学校も学芸会はあったのかなかったのか、
なかったのかもわかりません。
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by grand-ant | 2005-10-28 06:22 | 想い出

メルボルンオリンピック

きのうは「"フェージング"と格闘」と書きましたが、
高校1年の時のメルボルンオリンピックの放送は、
このフェージングで記憶しています。

歌のベストテンは東京からの放送ですから、
フェージングも浅いものでした。

メルボルンオリンピックは太平洋の向こう側です、
地球で考えたら日本の裏側からの放送です、
フェージングも深くて聞こえなくなる時間が長かったです。

アナウンサーの声が浮かび上がってくるまで、
5~10秒ぐらいかかります、
海外放送を聞いているという実感を味わいながら聞きました。

高校3年間は寄宿舎の生活、
ラジオは寮母さんの部屋に1台あるだけ、
5球スーパーラジオです、今のラジオに比べれば、
受信感度は相当悪いラジオでした。

日本の水泳と体操が強かった時代です、
どちらも金メダルを取ったのではないですかね?
水泳は山中?体操は小野選手でした。

その後金メダルの小野選手が小学校へ来られました、
地元ではおおきなニュースで賑わってました。
私はもう高校で地元を離れていましたので、
模範演技を見ることは出来ませんでした。

そんな意味でメルボルンオリンピックは記憶にあります。
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by grand-ant | 2005-10-27 06:31 | 想い出

ラジオ番組

「笛吹き童子」「紅孔雀」と思い出しましたが、
このほかにもまだまだありました。
もう思い出すこともないような番組が・・・

「とんち教室」「二十の扉」「三つの歌」
先日取り上げた「お話でて来い」「日曜名作座」等など
どれもこれもNHKの番組ではないですか。

「今週の明星」「民謡をたずねて」・・・
聞いていたのはほとんどNHKでした。

民放で記憶にあるのは桃谷順天館提供の
「歌のベストテン」?があったような気がします。
高校生になった頃に毎週順位を注目して聞きました。
ラジオのスピーカーに耳を付ける様にして、
音が大きくなったり小さくなったりする、
"フェージング"と格闘しながら聞きました。

おんな船頭唄、お富さん、南国土佐を後にして、港町十三番地、
星は何でも知っている、バナナ・ボート、ここに幸あり、
こんな歌が流行っていました。

「明色アストリンゼン」という言葉が、
ラジオからよく聞こえていました。
桃谷順天館の主力商品だったのでしょう、
あの頃覚えた化粧品の名前です。
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by grand-ant | 2005-10-26 06:47 | 想い出

紅孔雀と・・

笛吹き童子の後に放送されたのが、
「紅孔雀」です。

♪まだみぬ国に 住むという 紅き翼の 孔雀どり
 秘めし願いを知るという 秘めし宝を知るという・・

歌詞は不正確です、これも話の筋は忘れています。
大阪に出てきてしばらくしてから、
幼児向けのテレビの人形劇で再放送されました。

中学生の頃、笛吹き童子ほどは熱心には聞きませんでしたが、
歌などはまだ覚えています。
テレビの放送は仕事の帰りが遅くてほとんど見ていません。

そして、大人と一緒に聞いていたドラマが、
アチャコ青春物語「お父さん はお人好し」です。
この放送を聞いて大阪弁、関西弁に親しくなりました。

「むちゃくちゃでござりまするがなあ・・」
がよくでてきた言葉です。

お母さんが浪花千栄子さんで、
子供の名前が東海道の地名から取っていたような・・?
ドラマの中では子沢山でした。

夜鳴きそば屋さんがよく登場していたと思います。
チャルメラの音を覚えたのはこのドラマです。

大阪に出てきてからチャルメラの音をよく聞きました、
懐かしさのあまり呼び止めて食べたことがあります、
アチャコさんたちも食べていたのは、
こんな味だったのかと感慨を込めて食べたものです。

季節は冬のものですけど近年はあまり聞きません。
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by grand-ant | 2005-10-25 06:40 | 想い出

笛吹き童子と・・

中学生の時毎夕方放送されていた、
「笛吹き童子」を欠かさず聞いていました。

♪ひゃらーり、ひゃらりっこ、
  ひゃりーど、ひゃられっど・・・
    誰が吹くのか不思議な笛だ・・・

話の筋は忘れてしまいましたが、
この歌はまだまだ耳に残っています。

学校の行き帰りに放送を聞かなかった子に
話の成り行きを教えたり、聞いたりしました。

悪代官の郡代?、悪者の玄蕃、妖術を使う小次郎、
そして「しゃれこうべ」の面をかぶった誰かが・・
毒作りの○○婆も記憶しています。

笛を吹く主は菊丸?でしたか・・
彼が笛を吹くと
しゃれこうべは割れ、妖術も解けてゆきました。
そんなドラマでした。

この頃、大人は「君の名は」に聞き入っていました。
週に一度の放送でした、私も聞いていました.

「忘却とは忘れ去ることなり、
 忘れえずして、忘却を誓う心のかなしさよ・・」

よく覚えているせりふ(ナレーション)です。
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by grand-ant | 2005-10-24 05:57 | 想い出

"ききょう"

小学4年の時に母が肺結核になり2年近く入院しましたが、
"ストレプトマイシン"の最新薬のお陰でほとんど治癒しました。

島根に帰ってからは毎週 高校のある町まで
"ききょう"という治療に通っていました。

この治療は肺の負担を軽くして肺結核の再発を防ぐ目的で、
お臍(へそ)の辺りから入れたくだ(管)から、
肺胞の周りに空気を送り込む治療だったようです。

この"ききょう"と言うのはどんな字なのか、
PCで調べてみましたが 見当たりません。

"気胸"は病名で治療法ではありませんから違うようです、
"気狭"も病気の状態で違うと思うんです。
"気矯"もどうも違うようで・・・わかりません。

母、本人に聞いてみますが、
もう忘れて分からないといいます。

病名を治療法と思って私たちに言っていたのかも知れません、
でも"気胸"は肺に穴ができて吸った空気が漏れる病気のようで、
痛みを伴うようですが、母は痛みは訴えていませんでした。
この病気ではないと思います。

先日からこのことが気になって調べていますが、
結論はでてきません。

「人口気胸」という治療があったそうです、
"ききょう"は"気胸"でいいんだそうです。
教えていただきました。(10月25日)
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by grand-ant | 2005-10-23 05:33 | 想い出

鍋焼きうどん

高校入試に受からなかった時の滑り止めに、
私ともう2人の生徒と先生の4人で、
職業補導所の手続きに行った時です。

高校がある 大きな町でした。
先生が鍋焼きうどんを食べようと言って、
食堂へ連れて行ってくれました。

その鍋焼きうどんの熱いこと、
火傷をしそうな熱さでしたが初めて食べるもので、
土鍋に入ったうどんは珍しかったです。
持って行った弁当も一緒に食べました、しかし、
うどんの味はよく覚えていません。

25年ぐらい経ってから田舎での同窓会で、
先生に「あの時は鍋焼きうどんを食べましたね」
とお話しましたたら、「そんなことがあったかな・・」と
もう忘れておられました。

生徒には心躍るようなことでしたのに、
先生には特別のことではなかったようでした。
お会いしたらお話しようと思っていましたから、
その時は肩透かしを受けた思いでした。
先生にとっては影の薄い生徒だったのでしょう。

その頃は町の食堂で食事をすることなんて、
なかったですからね・・
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by grand-ant | 2005-10-22 06:43 | 想い出