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タイガース

2年ぶりの阪神タイガース優勝!
間が短い分だけ感激は少ないのではと思いましたが、
テレビから伝わってきた甲子園の熱気にはびっくり。
巨人戦というのに阪神ファンで埋まってましたね。

今年も春から阪神、阪神で過ごしてきました。
試合を聞きながら勝った、負けたと楽しみ、
最高の結果になりよかったです。

今年はJFKなるストッパーの存在が、
異色でした、なんとも頼もしい存在です。

嫌な社会の事件や政治のごたごたのニュースの多い中、
野球の話題で過ごせるのは気分が晴れ、
スポーツ観戦のいいところです。

夕べはラジオもテレビも優勝記念番組で、
徹夜放送でした、

先日の選挙の開票速報もそうでしたが、
見るとはなしに見ていて寝不足気味です。

今日もまだ余韻が残る一日でしょう。
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by grand-ant | 2005-09-30 06:26 | スポーツ

文通

中学生の頃に見ていた子供の科学で、
文通欄を見つけて文通をはじめました。
3回ぐらい手紙が行き来して終わりましたから、
はじめたというにはあたらないですね。

むかしすぎて薄ら覚えしかありません、
相手は同じ歳の男の子で宮城県の子でした。
私は島根の田舎の子です、
相手も多分宮城の田舎の子だったと思います。

ラジオの組み立てに熱心でした、
あの部品がないとか、この部品が欲しいとか書いてました、
私も田舎にいる貧乏な子ですから、
相手の希望を叶えさせることはできません。

送ってもらったラジオの配線図、
これが鉛筆で書いてありました。
私は配線図を見て理解できるわけではありません、
その頃の本には「実態配線図」がよく載っていました、
コンデンサー、抵抗器、真空管のソケットなどを、
ビニール線で繋いでゆく様子を、
絵で描かれていてハンダ付けをする場所が
分かり易く載っていました、中学生でも出来るわけです。
本格的な配線図の理解は無かったのです、
そういったことで文通は長続きはしませんでした。

高校を卒業して大阪に出た時に見つけた、
「灯(ともしび)」という雑誌にも文通欄がありました。
恋に恋する文学少年少女が見ていた抒情文芸誌です、
(私もその一人でしたが・・)
ここの文通欄で知り合ったのは雪国新潟の女性です。
この文通も3往復ぐらいで終わりました。

いま盛んにメールの交換をしています、
現代版の文通だなぁ~と日ごろから思っています。



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by grand-ant | 2005-09-29 06:10 | 想い出

三瓶りんご

りんごと聞けば「青森」が浮かびます、
この頃は「長野」も浮かぶようになりました。

りんごはどこでも出来るようです、
大阪と奈良の境にある生駒山系のふもとにある
「のどか村」でも作っています。
ベランダでも出来る「姫リンゴ」もあります。

私が子供の頃のリンゴは酸っぱいものが多かったですが、
この頃は酸っぱいりんごは少ない気がします。

十数年前から毎初冬に送ってもらっているリンゴが、
「三瓶りんご」です。
甘味も十分でとても気に入っています。

三瓶でとれるから「三瓶りんご」ですが、
つがる・陽光・ふじなどの品種があります

何年前でしたか18~20個入りの箱を、
4軒から頂いて傷む前に食べようと思いましたが、
ご近所にお分けしたりで苦心しました。

りんごをラップで包んで冷蔵庫に入れておくと長持ちします。
りんごは自身から不思議なガスを発します、
柿と一緒においておくと柿の熟しが早まります、
みかんと一緒においておくとみかんの傷みが早まります?
バナナも同じです、バナナは別に置いておくほうがいいです。
じゃがいもと一緒においておくと、
じゃがいもの発芽を遅めます(抑えます)。

食べきれないほどのじゃがいもがありましたら、
ぜひりんごと一緒に箱に入れて置いてください。

この数年は島根以外の人には、
お歳暮に「三瓶りんご」をお送りして、
好評?の言葉を頂いています。
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by grand-ant | 2005-09-28 05:49

三瓶(さんべ)山

島根では知られた三瓶山ですが、
全国的にはあまり知られていないような気がします。
この日記に何度か書きました、高さ1126mで島根の最高峰です。

山陰には全国的に有名な大山(だいせん)があります、
高さは1731m、山陰だけでなく中国地方の最高峰です。
スキーツアー、登山ツアー、温泉ツアーと、
旅行のパンフレットによく登場します。

三瓶山はそれよりずーっと控えめで地味な存在です、
景観も大山に比べると迫力には欠けますが、
温泉もあります、スキー場もあります、
関西からは大山に比べて遠い事が関係していると思います。

山頂が4~5つあります、男三瓶、女三瓶、子三瓶、孫三瓶、
一番高いのが男三瓶です。
どの山頂も立ち木も少なく見通しはいいです。
晴れた日には日本海の沖に浮かぶ隠岐の島が見えるそうです。
私はまだ山頂までは登っていません、
いつか必ず登りたいです。(2008年11月2日 男三瓶に登頂)

山の裾野が平原状に広がり、西の原、東の原、北の原があります。
私たちが遠足で行っていたのは西の原です。
ここでお弁当を広げて食べていました。

この西の原は牛の放牧場でもありました。
乳牛独得の白地にひょうたん柄の模様がありました。

一昨年訪れた時は遊覧用の馬が客待ちをしていました、
今日はその時の写真を貼り付けて見ました。

なだらかな山の斜面は冬にはスキーに適しています、
スキー場として開発されているのは東の原です。
このスキー場は近年利用者が減り、
開店休業の状態が長く続いていると聞きました。

愛媛県には三瓶(みかめ)町というところがあります、
漢字は同じですが読み方が違います。

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by grand-ant | 2005-09-27 05:33 | 四季

ご飯つぶ

白いご飯はそのままでも、
おにぎりにしてもどちらも美味しいですね。

お茶碗から一粒二粒こぼれても、
「もったいない!」と言われ拾ってたべていました。

教室で一緒に食事をしながら先生から聞かされました、
「一粒のご飯はきれいなものです」が、
同じ「一粒でも汚く感じることがある」と、

たまたま通りかかった家の排水口から、
流れ出ている排水の中に白いご飯粒が一つ二つあれば、
その家の台所が想像できます。
台所は多分汚いですよ、その家の実情がそこに表れている、と

山道を歩いていて喉が渇いてきました、一軒の家に寄って、
すみません一杯水を頂けませんか、とお願いして、
ありがたく貰ったコップの水ですが、
コップの水の底にご飯粒が一つあったらどう感じますか、
きれいなご飯粒でしょうが飲む気にはなれませんね。

コップを取り巻く実情がそこに表れているからです。
ご飯を大切に思わない家の人の気持ちが、
そこに表れていますよ、と何度も話されました。

お百姓さんが寒い日も暑い日も、
八十八もの手間をかけて作られたものです、
「一粒のご飯でも大事にしなさい」と聞かされました。

最近の我が家の台所、ご飯粒がよく流れています、
食べ物を粗末に扱っています、
いつか天罰が下ることがあるかも知れません。

日本人のもったいない思想は、
世界の人には宗教のように見えるそうです。
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by grand-ant | 2005-09-26 05:31 | 想い出

遠足

遠足のことは4月3日にも少し書きました。
http://sa98na.exblog.jp/m2005-04-01/#112950
三瓶山へは毎年行きましたから4回行っています。

Netの地図で見ましたら片道12km もあります、
山育ちの子供たちだから平気だったのでしょう、
私は毎年しんどい思いをしていました。

5年生以下の低学年は8kmぐらいの
江川(ごうがわ)の河川敷へ行っていたようです。

三瓶まで12kmと言っても山越えです、
平地にはないしんどさです。
そんな山道でも所々には家があって、
どんなお仕事をされていたのかと考えてしまいます。

家の周りには柿の木や栗の木などがあって、
貰って食べながら歩いたような気がします。

遠足の楽しみも弁当ですが、
遠足で忘れられないことがあるのは帰り道のことです。

友達がおにぎりが残っているけど、
食べないかといって差し出してくれたので、
おにぎりは好きでしたから喜んで貰いました。
一口頬張りましたらびっくりしました、
梅干の変わりに味噌がはいっていたのです。

その頃は味噌は好きでありませんでしたから、
友達には悪かったのですが吐き出してしまいました。
カルチャーショックでした。

おにぎりは梅干、時折刻んだ沢庵、
遠出の時は焼きおにぎりにしたりしていました。
味噌はほんとに意外でした。

今はコンビにでは様々な具の入ったおにぎりが売られています、
高菜漬け、サラダ、マヨネーズ、キムチ、焼肉まであります、
友達の家は1歩進んでいたのではと思うようになりました。
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by grand-ant | 2005-09-25 05:18 | 想い出

運動会の弁当

運動会の一番の楽しみは競技ではなくお弁当です。
普段はお目にかかれない卵焼きやゆで卵、てんぷら、
何よりも巻き寿司が楽しみでした。
海苔の香りはお寿司を一層おいしく感じます。
質素な具材でも「ちょっとの工夫でこのうまさ」です、
(どこかで聞いたことのある言葉)
競技をしていても早く弁当の時間にならないかと、
待ち遠しかったものです。

お弁当の出来合いを売っているところはどこにもありません
各家で早くから起きて作ったものです。
我が家でも祖母が早く起きて作ってくれました、
母も作ってくれましたが祖母の記憶が大きいです。

お弁当が出来たころに私たちは起きてきて、
あわてて学校へいきます。
その後で家のものがお弁当を持って学校へ行くのです。

お弁当の時間になると、
観客席でござを引いた上でお弁当を真ん中に、
家族全員で楽しく食べました。
なぜか雨降りの記憶は一度もないですね。

運動会には果物がありました、柿やぶどう、
珍しいのはみかんでした。
今のような温室育ちとか冷蔵庫はありませんから、
運動会頃に出てくるみかんはまだ青く、
すっぱみのあるものでした、
青っぽいみかんはあのころの運動会を思い出させます。

最近の運動会は親のいない子に気遣って、
子供だけで教室で食べたり豪華な弁当は禁止したり、
賞品の序列を付けなかったり、
子供にとってはさびしいことだろうなと、
思っています。
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by grand-ant | 2005-09-24 05:20 | 想い出

運動会

昭和35年から大阪に住むようになりました。
第一の驚きは言葉でした、
ご近所の方がこられての会話や、
ご近所さん同士の会話を聞いて漫才を聞くようでした。
島根にいる時にラジオで聞いたアチャコさんの話し方と
一緒だったのです。

もう一つは運動会です。
「○○ちゃん、こんどの運動会は有馬やねん、
いっしょにいかへんか」と誘われました。
私は有馬まで行って運動会するのかなと思っていましたら、
レクレーションで温泉に行くことと知って、
面白い言い方をするんだなあと驚きでした。
いまでもこんな言い方をされる方が時々あります。

そして、本当の運動会の話です。
福岡の小学校の運動会は広いグランドで、
場所取りが大変なほど賑やかな運動会でした、
島根の運動会は場所取りをする人もなく、
小中合同でもこじんまりとした静かな運動会でした。

私は走りは駄目で3位までに入ったことはないですね、
パン食い競争や、障害競走はややましで
1位になったこともあります。

1位が鉛筆3本、2位が2本、3位が1本とかで、
賞品がうれしかったです。

私の子供の運動会は走った子の全員が鉛筆などの
賞品を貰っていました、
楽しみのはずの弁当も教室で食べるようになったり、
時代が変わっていました。
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by grand-ant | 2005-09-23 05:55 | スポーツ

窒素燐酸カリ

「窒素・燐酸・カリ」を教わったのは2年生の時です。
窒素は葉を、燐酸は実を、カリは根を育てるのでしたね。

家内がベランダ園芸をするようになって、
咲くはずの花が咲かなかったり、
生ったきゅうりやなすびが大きく育たなかったり、
なんでかな?とよく言ってます。

私は「窒素燐酸カリ」の肥料のやり方が間違ってるんだよ!と
えらそうに言ったものの、窒素は何に効くのか、燐酸は、カリは・・
すれぞれの効能は忘れてしまっていました。
花も野菜も育てるのは難しいです。

肥料も大事ですがどんな土に植えるかも大事です、
更に「水はけ」もすごく大事で、
ベランダで栽培する方法もなかなか奥が深いです。

小学校と中学校の共同で使っていた講堂の横に、
広い花壇がありました。
中学生の頃は花には全く興味はなく、
花は咲いて当たり前ぐらいに思っていました。

花壇は花の咲き方が悪かったのか、
ある日園芸の時間?に花壇全体を5~60cmも掘り返し、
割った竹を全面に敷き詰めました。
水はけをよくする目的です、

堆肥と肥料をいれて元通りに土を戻し、
イングリッシュガーデンのようにレンガで区割りして、
花壇は出来ました。

多分種蒔きもしたと思いますが、
「窒素燐酸カリ」の肥料もきっちり入れたのでしょうか?
翌年は大分離れた本校へバス通学でしたから、
どのように咲いたのか観ずに過ぎました。
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by grand-ant | 2005-09-22 06:34 | 想い出

ペン皿と盾

中学2年の時の工作の時間に、
作らされたペン皿と盾、
私にはどちらも上手くできませんでした。

材料は「ほおの木」の高級材、
加工をするのは彫刻刀です。

上手く出来なかった嫌な想い出の一つです。
表面にはささくれがいっぱい、
彫る技術も、磨く技術もありませんけど、
多分使っていた彫刻刀が切れなかったのです。

彫刻刀は新しいものを買ったのか、
家の古いものを使ったのかはっきり覚えてないのです。
自己弁護をするようですが工具が切れなくては、
彫ることはできません・・
ぜんぶ彫刻刀のせいにしていました。

先生の作られた見本のペン皿は、
木目がきれいでニスも塗ってありましたから、
きれいに光って出来ていました。

盾は鷲が羽根を広げた姿を浮き彫りにした、
専門家が作ったような立派なものでした。

上手くできないので彫刻の時間が嫌いになって、
同じ先生の担当の算数も嫌になっていました。

こんな風に削るんだよと削って見せるとか、
この彫刻刀では駄目だからこうしなさいとか、
分かるような指導をして欲しかったと・・・

この先生は本校から週に何日か来ておられました、
私のいた学校は分校で教科担当の先生が、
本校から何人か通ってこられていました。

嫌だと思った先生はいつまで経っても、
嫌なままの記憶ですね。
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by grand-ant | 2005-09-21 06:09 | 想い出