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ラジデン

NTTドコモはラジオ付き携帯電話「RADIDEN(ラジデン)」
(ソニー・エリクソン製)を今秋発売するそうです。

ラジオとカセットが一体のものが「ラジカセ」
ラジオと携帯電話が一体になった「ラジデン」ですね。

ラジオ付きというので興味があり調べてみました、
AM、FM、TV(音声)の3バンドチューナーを備えています、
これが世界初だそうです。

TVとFM付きはすでに存在しています、
それに、AMラジオがついたと言うわけです。
従来のワンタッチボタンラジオの性能はそのままで、
特に目新しさはありません。

表が電話、裏がラジオでそれぞれを張り合わせたような、
面白みのない構造です。
ところがこれにはカメラがついていませんし、
メモリーカードスロットもありません。

携帯電話といえばカメラ付が当たり前になっています、
私のようにカメラ機能は宝の持ち腐れの人には、
案外支持されるかも知れません。
カメラを良く使う若い人には支持されないかもです。

表も裏も操作するボタンがむき出しになっています、
ポケットの中やバッグの中で
何かの拍子でスイッチが入りそうです、
今使っている二つ折りの電話はその心配がなく安心です、

今使っているカメラ付携帯にラジオが付けば
とても魅力的なんですが・・
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by grand-ant | 2005-08-31 05:21 | ニュース・評論

テープレコーダー

中学一年の時、
初めてテープレコーダーを見ました。

英語の時間に先生が持って来られて、
本物の英語をそのテープレコーダーから聞きました。

大きさはポータブル蓄音機と同じぐらい、
オープンリールデッキ?とか言うタイプです。

映写機のフイルムのような
テープを巻き取るリールが2つ機械からはみ出るように、
どっかと乗って回っていました。

リールからリールへ茶色のテープが
迷路を通るように機械の中を複雑に通過します。
初めて見る機械は珍しさで興味津々でした。

生徒一人一人が読む英語を録音して、
英語の発音を復習しましたが、
この時自分自身の声を聴いて驚きました。
こんな変な声が自分の声だとは信じ難いことでした。

テープをスタートさせる時には、
ガチャっと大きな音がして機械が動き出します、
この時にテープに余分の力が掛かるのか、
よくテープが切れていました。

切れたテープは斜めにハサミで切って、
裏側でセロファンテープで繋いでいました。

その後に出たカセットテープに比べると、
取り扱いは面倒でした。
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by grand-ant | 2005-08-30 07:59 | 想い出

レコード

中学生の時、
学校でクラシックレコードを聴きました。
先生の机の上に置いた蓄音機でSP盤での再生です。
ベートーベンの「運命」とか
「田園」だったような気がします。

SP盤は1枚の演奏時間は4分程度ですよね、
1曲が4枚~8枚に分かれて録音されていますから、
曲の途中でレコードを取り替えます。

後に出たLP盤に比べると、
聞く生徒も取り替える先生ももどかしいことでした。

透き通った音でなくノイズばかりの曲で、
ポータブルの蓄音機の音質はよくなかったです。

電蓄からステレオに移るにつれ、
レコードの音質はいちだんとよくなりました。
4枚に分かれていた曲も1枚に収まるようになり、
誰でもクラシックを楽しめるようになりました。

モーツァルトなどのクラシックを聴くと、
脳のリフレッシュになると言われます。

クラッシックの曲の中には、
脳を刺激する高音部、低音部が多く含まれて、
聴くことによって、
停滞している脳細胞が活発化するからだそうです。

最近のデジタル化された音質はLP盤のそれと比べて、
温か味がないように感じます。
コンピューター音質とでも言いますか、
耳には聞こえない高音部低音部がカットされていて、
心の奥にまで浸み込み難いようです。

耳には聞こえない音も録りこんだCDも、
その内に必ず出てくるのではないでしょうか。

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SPレコード(左から俺は淋しいんだ、べサメムーチョ、イタリーの庭、ラ・メール)
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by grand-ant | 2005-08-29 05:20 | 音楽

電蓄

母の実家が当時最新の「電蓄」を買ったのは、
私が中学2年の時だったと思います。

いま「電蓄」と言うととても古臭く聞こえます、
「電気蓄音機」のことです。

手回しの蓄音機と違ってモーターで、
ターンテーブルを廻します。

「電気蓄音機」に「ラジオ」を組み合わせたものが、
私の思う電蓄のイメージです。
その頃は新しい電気製品だったのです。

例によって裏から覗いて見ますと、
真空管はST管ではなくて、
これまた最新の「ミニチュア管」が使われて、
高級感が漂っていました。

蓄音機の部分はラジオの上で、
開閉式の蓋を開けるとターンテーブルがあるのは、
蓄音機と同じです。

針はスチール製で2~3回毎に交換していました。
竹の針の時代から見れば進歩はしていますが、
サファイア針の採用された上級機種ではなかったです。

針は演奏が終わると手で元に戻します、
忘れていると最後の所でいつまでも回っていました。

一番下部がスピーカーです、
とてもやわらかいいい音だったような気がしています。

真空管で増幅された音質はトランジスタに比べると、
心にしみる温かみのある音に感じます。

何枚もあったレコードの中から、
「支那の夜」「ケンタッキーの我が家」
電蓄時代を思い出す曲名です。78回転のSP盤でした。
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by grand-ant | 2005-08-28 06:26 | 想い出

半田付けと鉛

中学生の頃に時々見ていた「子供の科学」の巻末に、
いろんな組み立てキットが載っていました。

どんなものが載っていたかの大半は忘れていますが、
「走るトラック」「鉱石ラジオ」「単球ラジオ」「模型飛行機」
完成品の「ラジオ」も「鉄道模型」もいっぱいありました。

これらのもっと詳しいカタログが単行本でも出ていました。
印象的な赤い表紙でしたがカタログの題名は忘れていますが。
発行元は「科学教材社」でよく覚えています。

これらの組み立てキットは実体配線図がついていました、
理屈抜きに手順通りに組み立ててゆけば作ることが出来ます。
この時に欠かせないものが半田付けです、
半田ごてをあたためて鉛とペーストで付けます。

半田ごてで部品を付けたり外したりは、
楽しい作業でした。
半田付け用の鉛の棒を溶かしながら付けていました。
この頃にはすでに鉛の中心にペーストが仕込まれた、
ワイヤー状のハンダがあってそれがとても欲しかったです。

数年前から国内の電器メーカーは、
半田付けに鉛の使用を止めてきています、
趣味での半田付けからも鉛は消えてゆくようです。

鉛は体内に入ると中枢神経をおかすそうです、
私の神経は少しはおかされているでしょうか?

因みに、我が家への水道管の引き込み部分に、
いまだに鉛管がついています。
朝一番の水はしばらく流してから使うように心がけています。

あの狩猟用の散弾銃の弾も鉛で出来てます、
散弾銃で撃たれた鳥や動物を食べたワシやオオタカが、
鉛中毒で死んでいっているのは、
弾も一緒に飲み込んでいるからだそうです。
食物連鎖の恐ろしいところですね。
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by grand-ant | 2005-08-27 05:20 | 想い出

鉄道模型

家の前の食料品店に男の同級生がいました。
学校の行きかえりも川遊びも日曜学校も、
たいていは一緒でした。

食料品店の傍らで新聞の取次店もしていて、
朝は近くの家だけは彼が配達して、
家業を助けていました。

私が壊れたラジオからスピーカーを取り外したり、
トランスを分解したりしている頃、
彼は鉄道模型を買ってもらい座敷で遊んでいました。
家の中にまで入って一緒に遊ぶことは、
めったにはなかったのですが、
2度ぐらいですか遊んでいるところに、
加わったことがあります。

交流100Vから直流6V~9Vにするトランスに、
とても興味があり、まじまじと見つめたものです。
トランスは底板と天板とを、
4隅のボルトだけで挟むように締め付けてあるだけで、
トランスの鉄心もコイルも丸見えでした。

天板上にはハンドルがあり電圧を可変出来ます。
電車のスピードを変えたり止めたりする運転台ですね、
(操作盤ともいいますか・・)
出来合いの製品ですからただ操作するだけです。

それでもとても羨ましく思いました。
同じトランスを作ってみたくて分解したトランスから
制作に挑みましたが結局出来なかったです。
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by grand-ant | 2005-08-26 06:33 | 想い出

日曜学校

小6~中1頃まで近所の子供十数名で、
お寺での日曜学校へ行っていました。

人生訓の織り交ぜられた話を聞いてから、
子供向きのお経を読むのです。
浄土真宗の「らいはいのうた」で、
かなりのところまで覚えていましたのに、
今は初めの4行ぐらいしか暗唱できません。

日曜日だからといって行楽に出かけることはなく、
お寺での午前中の1時間から2時間が、
友達と会える一つの楽しみだったのです。

代表的なお経は教本を見ながらでしたら、
終わりの部分で節回しが変わるところまででしたら
読むことが出来ます。

どのお経も終わりの所で長~く延ばしたり、
短くしたりします、この部分が分からないところです。

テレビのお葬式などでお経が流れてくると、
浄土真宗のお経であるかないかは分かります。

同じように聞こえますが宗派によって、
お経の節はものすごく違っています。

大阪は23日~24日と地蔵盆でした、
この地蔵盆でのお経は高野山の真言宗の系統です、
「はんにゃ はらみった~」
私の記憶にない節回しです。「般若心教」でしたら、
超有名なお経なんですが・・・
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by grand-ant | 2005-08-25 05:07 | 想い出

もう一人の先輩

時々思い出す1級上の先輩がいます、
家の方向も違うし話をしたこともなかったのです、
神楽好きの先輩と違って細身の体でした。

1級下の私たちにも知れ渡っていたことは、
彼のあだ名でした。
知らない人はあだ名が本名かと思われるぐらい、
あだ名で呼び合っていました。

順調に中学を卒業しG工業高校へ進学しましたら、
彼も1年生で入学してきました。
同学年でも彼は先輩です、
彼はC科、私はM科で科が違っても親しみがありました。

2年になって新しい寄宿舎に彼も入ってきました、
高校では中学の時のあだ名で呼ばれることはなかったのですが、
私の頭の中ではあだ名がいつも浮かんでいました。

その彼が2年の夏、江の川(ごうのかわ)で
水泳中に不慮の死を遂げたのです。
とても悲しくて耐え難い気持ちになったものです。

彼の家は以前に書いた猿丸地区です、
8月の暑い日でした、私の家とはだいぶ離れている
彼の家まで自転車でお悔やみに走りました。

私の家と違いしょうしゃな藁葺きの家でした、
夏の暑い日などは時々彼を思い出します。

思い出してあげることが故人への一番の供養と
僧籍だった伯父はいつも言っていました。

あだ名は彼の名誉のためにもここには記さないでおきます。
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by grand-ant | 2005-08-24 05:06 | 想い出

神楽で思い出す人

中学1年生の時の新聞部の1級上の先輩が神楽が好きで、
編集作業中にもよく作業の手を止めては、
神楽舞の真似事をしていました。

学校の帰りの道々にも踊りながら帰っていました。
余程神楽舞の所作が気に入ったのでしょう、
好きこそものの上手なり、で本当に舞えるほどでした。

神楽舞は流れるようなスムースさは駄目で、
首をかくっ、かくっと動かして、
体もコマ落しの様に踊ると雰囲気が出ます。
余興でも十分通用する上手さでした。

この先輩、10年ぐらい前にテレビに登場していました、
J大学の助教授、「出版広告評論家」の肩書きでした。
A新聞の日曜版に1ヶ月ぐらい故郷について
語っていたこともあります。

神楽のことはどうなったのかなと思いましたが、
その後はテレビにも新聞にも登場されなくなりました。

当時の新聞はガリ版刷りです、
鉄ヤスリの上に蝋の紙を置いて鉄筆で字を書きました、
方眼紙にあわせて角ばった文字を書いていました。

彼の大きな体はやや太めでしたが、
文字は几帳面なきれいな謄写版書体?で、
性格をあらわしていました。

その時の新聞、保管などはしていませんから、
見たくても見れませんが今一度見たい思いです。

2017年9月10日 追記
中学も多分高校も新聞部を経て、上智大学文学部新聞学科を卒業、
出版社に勤務の後 1989年に助教授、1992年に教授、
2008年に退任で名誉教授、現在は出版学会会長などで活躍中
NHK BSの「週刊ブックレビュー」コメンテイター
私と同じなのは広島県の出身で島根の学校を卒業、奇遇な出会い






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by grand-ant | 2005-08-23 04:45 | 想い出

伊勢大神楽

はっきりとした記憶ではないのですが、
何度か見た記憶があるんです。

季節は秋だったでしょう、
通りの広場で白装束の神主さん?でしょうか、
4~5本の太刀をお手玉のように廻しておられました。

棒の上にお皿をのせての曲芸もありました、
獅子舞いも演じておられました。
獅子頭を手でガチガチとさせていました。

市場の舞台での石見神楽とは違って、
町の通りのちょっとした広場での大道芸ですね。

遠く伊勢神宮から来ておられるんだと聞いて驚きました。
日本の各地を回っておられるようでしたが、
町の偉い人が招待したのでしょうか?

お祭りの時にも神楽舞がありました、
この伊勢太神楽は別の風情がありました。

私は子供でしたからただ見るだけでしたけど、
大人の人はお金を払っていたのでしょうね?

今でも回っておられるのかどうかは、
わかりません。

大阪でも伊勢大神楽は回ってくるんでしょうか、
大阪に出てきてからは一度も出会ってません、
伊勢とは比較的近いですのに、
関心をもっていないので気が付かないのかもですね。
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by grand-ant | 2005-08-22 05:09 | 想い出